退任にあたって

退任にあたって -21年間の教育、研究、診療-

2000年6月に広島大学医学部病理学第一講座の教授を拝命し、21年の月日が流れ、この度退任の運びとなりました。この間に行ってきた教育、研究、診療、大学運営、学会・社会活動についてまとめました。

教育

 教授になってまず、「病理学」が臨床実習に参画することにしました。病理学は疾病の成り立ちを究める綜合の医科学であり、種々の疾病の成因とそれによってもたらされる病態、形態学的変化を教授することはもちろん第一です。一方、病理学が病理診断を通じて臨床の要となり最終診断を担っているにも関わらず、基礎医学に分類され、臨床としての重要性を学部生に伝える場がありませんでした。臨床実習では、病理診断が最終診断たり得るのは臨床情報を把握した上で組織形態情報を加えて診断するからであり、病理医と担当診療医の双方で作り上げるものであることを強調してきました。また、学生が担当するCPCでは臨床と病理との対話こそが重要であると説いてきました。大学病院に加えて、週1日は呉医療センター、東広島医療センター、呉共済病院、JR広島病院といった関連病院で第一線の病理診断現場において見学実習を行なっています。
 病理学の系統講義では、第二病理の井内教授、武島教授に大変お世話になり、病因病態学としてチュートリアル方式を積極的に取り入れてきました。問題発見・解決力、コミュニケーション力、チームワークや利他主義など医師として備えるべき能力の醸成にも役立つものと考えています。教室での講義では、疾病の分類・成因・病態が何故そのように理解され教科書に示されるようになったのか、未だ未解決の問題に対してどのようなアプローチが行われているのか、についてできるだけ伝えるようにしてきました。病理学が単に分類や定義、病理形態を記憶する教科ではなく、動的な学問であることを示し、その魅力を伝えて病理学に惹きつけることを目指しました。学外でも、岡山大学、鳥取大学、九州大学を始め多くの大学で講義する機会をいただき、同じ姿勢で学生に話しました。神戸大学横崎教授、奈良県立医科大学國安教授には、教授就任以降毎年講義に呼んでいただき、講義とともにその後の食事をしながらの情報交換も大切な時間でした。
 研究実習に関しては、2013年までは5-6年生を対象とした6週間の基礎配属実習として約70名を受け入れ、後にその中から3名が入局し病理医になりました。2012年から4年生が4ヶ月間にわたってひとり1テーマで実際に研究を行う医学研究実習が開始され、合計46名を受け入れました。3年生までの座学では学生本人が気付くことのできなかった能力を自身が改めて発見できるような環境を整え、刺激することを心がけ成功したと思っています。一人の学生には少なくとも1名の大学院生が担当として付いて指導するようにしていますが、院生にも得るものが多くあります。初めは何もできない学生あるいはあまりやる気の感じられない学生がどんどん研究に熱中するようになり、最後には堂々と発表している姿に何度も感激しました。英文論文に共著者として名を連ねている学生も少なくありません。8年連続で11名が最優秀賞あるいは優秀賞を受賞し、受賞者はその後、3名が病理専攻医・大学院生として、4名がMD-PhDコース大学院生として教室に来てくれました。医学研究実習は研究医の育成・研究マインドを持った病理医の養成の大きな力になると確信しています。
チ ューターとして、前任からの引継ぎを含めると3年おきに7学年70名を担当しました。医師としてキャリアを歩んでいく際には、母校広島大学は大切な故郷であり実家とも言えます。チューターとして新入生と接する際には、その重要性を説き、半数が他県からきている学生にとって親代わりとなることを心がけてきました。出来る限り1年前期の教養ゼミ期間中に家に招待してBBQで親睦を深め、その後も機会あるごとにチューター会を開くようにしてきました。ただ教養ゼミの時間である水曜午後が研究科長室会議と重なっていたこともあり、2014年、2017年入学の学年には十分なことができていないのは反省点です。
 大学院教育としては、研究と病理医研修を並行して行い、学位と専門医取得の両立を図ってきました。分子病理学的研究と病理診断は表裏一体であり、形態の分子基盤を知ることにより病因・病態に基づいた深い病理診断、治療に直結する診断が可能となり、一方で病理組織を通してみた病気の実像から新たな医科学研究の展開が生まれてきます。さらに、ゲノム医療時代には、ゲノム情報と病理組織診断を統合した分子病理診断を担う分子病理医が必要であるからです。自分が大学院生の時には苦労したこともあって、院生の間も十分な収入が得られるよう色々と工夫し、時には十分すぎるくらいの環境を整えました。一方、臨床の教室、第一内科、第二内科、口腔外科、原医研外科、泌尿器科、第二外科、大分大学第二外科、岐阜大学腫瘍外科からも多くの大学院生に来ていただきました。彼らは、研究面のみではなく、それぞれの領域の病理診断も勉強することにより、臨床の現場で各科と病理の架け橋になる医師、病理を理解した臨床医として活躍してくれています。学位取得者は、母教室での申請を含むと博士(医学)44名、修士(医科学)8名です。
 課外活動は大切な教育の場であり、それを通して人間力、社会力が醸成されます。私自身、中学高校大学の現役時代を含めて52年間バレーボールに関わり、「ひとりの力では勝てないこと」「チームが一丸となることにより勝てること」という経験から、個性と調和そして俯瞰的視野が重要であることを学びました。2005年からは霞バレー部の顧問として毎年欠かさず西医体ではベンチに入り、2008年の地元広島で優勝し胴上げで体が宙に舞った時の感覚は今でも忘れません。その後も2009年沖縄、2015年大阪、2018年三重と3度の優勝を重ねてくれました。彼らにいつも強調していることは、個と集団の力のバランス、より良い社会の形成であり、成功体験とともに敗北から得られるものの重要性です。最近は女子バレー部も力をつけ、2019年には日本医歯薬大会で優勝してくれました。

研究

 病理学的研究の最大の特徴は、事象を鳥瞰的に捉え得ることです。ゲノム、遺伝子、分子の構造・機能とその制御に関する詳細な解析は、それを得意とする人たちにお任し、得られた知見を統合し、個体における疾病の成り立ちと現在の姿を理解することこそが私たちの研究と考えます。教室では一貫して、消化管癌・泌尿器癌を中心にがんの分子病理学的研究に取り組んできました。主なアプローチは、がんのエピジェネティクス、遺伝子多型とがんの発生・病態、網羅的解析による新規診断治療開発、治療抵抗性とがん幹細胞です。報告した論文の総被引用数は17,944に昇ります。
 エピジェネティクス:胃癌においてDNAメチル化やヒストン修飾によるMGMT、RIZ1、PINX1, TSP1, HLTF, SOCS-1等数多くの癌抑制遺伝子の不活化を見い出し、組織型や粘液形質発現によってメチル化パターンの異なることを示しました。また、胃癌では、CpG island methylator phenotypeとは独立して、多遺伝子にメチル化を有する症例は高悪性度であることも突き止めました。p21のプロモーター領域のヒストンH3のアセチル化レベルの低下による発現抑制は、クロマチン構造と遺伝子発現制御との関係を病理組織試料を用いて証明した初めての報告となりました。
 非翻訳RNA:国際共同研究による大規模解析により、胃癌の進展・転移・予後を規定する複数のマイクロRNAを同定しました。胃癌ではmiR-148aがMMP-7を標的として癌細胞の浸潤に関わること、スキルス型胃癌の形態形成と生物学をmiR143/145とTGF-βの協調作用が制御すること、癌関連線維芽細胞と癌細胞のエクソソーム内マイクロRNAによる相互作用がケモカインの誘導に関与することなどを見出しました。Transcribed Ultraconserved Region (T-UCR)の胃癌と泌尿器癌における検討から、癌では特定のT-UCR に発現異常が認められ、Uc.158+A、Uc.160+の発現低下はメチル化によること、Uc.416+Aは癌で発現亢進することなどを見いだしました。さらに、Uc.416+AはmiR-153で発現が制御されており、IGF結合蛋白を介して細胞増殖能を変化させること、EMTに関与することを示しました。抗癌剤耐性に関与するUc.63は血中でも捉えられ、去勢抵抗性前立腺癌の血清診断マーカーになることを明らかにしました。
 遺伝子多型:HER2、HIF-1α、EGF、MMP-1、MMP-9、CDH1等のSNPと発癌および臨床病理学的所見との関連を、症例-対照研究、症例-症例研究で解析し、胃癌の発生・進展との関連を見出しました。また、国立がん研究センターが主導した国際共同研究で、PSCAやMUC1の遺伝子多型と胃低分化腺癌の発生リスクとの関連を報告しました。
 新規診断・治療標的、バイオマーカーの探索:Transcriptome dissectionの方法として、SAGE(serial analysis of gene expression)法およびCAST (Escherichia coli ampicillin secretion trap)法を用いました。SAGE法は、定量性・再現性に優れ、未知遺伝子の解析も可能です。胃癌や食道癌のトランスクリプトーム解析を行い、特に胃癌では世界最大規模のSAGEライブラリーを作成し、NCBIのwebサイトを通じ全世界に公開しました。これらを用いた解析から、Reg IVおよびOLFM4が非常に感度の高い胃癌の血清診断マーカーであること、HOXA10、NRD1、ADAMTS16が胃癌、食道癌の進展に関わること、SCP18が増殖因子の細胞外分泌を制御し、胃癌、食道癌、大腸癌の新規診断・治療標的となることを見出しました。CAST法は、細胞表面膜蛋白あるいは分泌蛋白を網羅的に効率良く同定する方法です。胃癌および前立腺癌について解析を進め、DSC2、NBL1、CDONをはじめ多くの新規診断・治療標的の候補を同定しました。PCDHB9は胃癌に特異的に発現しており、PCDHB9陽性は予後予測因子となること、細胞生物学的検討とマウスモデルを用いた実験により、PCDHB9はインテグリンを介して癌細胞の腹膜転移に関与することも示すことができました。食道癌、大腸癌や泌尿器癌でも同様のことを確認しています。また、粘液形質により胃型と腸型に大別できる胃癌においてそれぞれの分子基盤の一端を明らかにすることができました。2019年のWHO Classification of Tumours: Digestive System Tumoursでは胃腺癌の分子病理の項の執筆を担当し、これらの成果の一部を紹介することができました。
 癌幹細胞へのアプローチ:治療抵抗性の克服、がん幹細胞性の制御について、主にふたつの方法を用いてアプローチしてきました。Spheroid形成を指標として、胃癌細胞を対象に網羅的遺伝子発現解析を行い、spheroid形成細胞塊に特徴的に高発現するものとして、KIFC1, KIF11, KIF23等のkinesin遺伝子群を同定しました。その内、KIFC1は、分裂前中期の紡錘体の安定化に関与し、その消失で多極分裂が惹起されます。胃癌臨床検体においてKIFC1 の発現は癌の進行度、予後、CD44・ALDH1と有意な相関を示し、KIFC1のノックダウンによりspheroid形成が抑制されました。現在KIFC1阻害剤の癌幹細胞を標的とした治療薬としての有効性を検討しています。一方、オルガノイド Organoid培養は、1個の幹細胞から臓器様の構造をとるオルガノイドを作製することが可能な3次元培養系です。癌組織由来のオルガノイドは癌幹細胞に富むという利点があります。私たちは5-FUをはじめとする抗癌剤耐性オルガノイドを樹立し、これらを用いて癌幹細胞性制御メカニズムの解明に取り組んでおり、KHDRBS3が5-FUを中心とする抗癌剤の効果および予後予測マーカーであるのみならず、胃癌・大腸癌の幹細胞の維持を介した薬剤抵抗性への関与も明らかにしました。
 放射線障害と宿主要因から見た固形がん発生の分子機構:2004年から2013年の間、厚生労働科学研究費補助金(第3次対がん総合戦略研究事業)による研究班(代表:安井 弥)において、放射線影響研究所、放射線医学総合研究所、広島大学原爆放射線医科学研究所などと共同で、被爆者に発生した固形癌のメチル化解析、microRNA発現解析、遺伝子変異解析等を行いました。その結果、被爆者胃癌の間質においてversicanとosteonectinの発現が低下すること、胃癌におけるReg IVの発現が被爆者群で有意に高頻度であること、FKTNが高線量被曝で高発現することなどをみいだしました。また、長期に保存された被爆者胃癌のFFPE試料を用いた解析から、被爆群と非被爆群において発現レベルが異なるいくつかのmicroRNAを同定し、放射線関連胃癌のマーカーとなる可能性を示しました。
 学術誌編集委員:病理・生物学系の「Pathobiology」では2001年から2018年と長期間にわたり、Editor-Far Eastを拝命していました。アジア・オセアニア地域から投稿されたすべての論文について査読者の指名から最終判定まで行なっていましたが、非腫瘍性疾患に関連する論文には苦労しました。2018年にはヨーロッパ病理学会での優秀発表賞にあたるPathobiology Awardが創設され、ビルバオでの閉会式でプレゼンターを務めたのはいい思い出です。日本癌学会の英文機関誌「Cancer Science」のIF は上昇傾向にあり、2019年のIFは4.966、Acceptance rateは20%程度です。2002年にAEにご指名いただき、集計のある2005年以降のみでも約250編の論文を扱いました。本誌のポリシーでもある迅速な審査を心がけてきました。日本および国際胃癌学会の公式雑誌「Gastric Cancer」は2019年のIFが7.088になっています。2015年からEditorを務め、取り扱った論文は324編を数えます。学術誌「胃がんPerspective」では岐阜大学の吉田和弘教授のご指名で2008年から12年間編集委員を務めました。その間の胃癌の基礎と臨床の進歩に合わせ、様々な企画を行い、特に“専門医のためのアトラス”では、多数の病理画像と簡潔な解説で視覚的に表現し、2014年には再録版を「臨床医のための胃がん病理アトラス」として発刊することができました。
 このような教室の学術研究活動の成果が認められ、構成員である教員や大学院生等が受賞した学会奨励賞、優秀発表賞、学生表彰などは2002年以降これまでに140を数えます。

診療・病理医育成

 診療面については、大学病院の病理診断、病理解剖を病院病理診断科、病理学(旧第二病理)と分担して担当するとともに、国立病院機構呉医療センター・中国がんセンター、呉共済病院、国立病院機構東広島医療センター、JR広島病院、県立広島病院、広島記念病院に常勤病理医を派遣しています。さらに、市立三次中央病院、庄原赤十字病院、済生会広島病院をはじめ14の関連病院・関連施設の病理診断、病理解剖を教室に在籍する病理医、教室OBの病理医で担当してきました。適時、的確で心ある診断の提供を目指し、2000年以降での病理診断総数は約90万件に上ります。教室においては、尊、恩、義、誠、敬、礼から生まれる和、個においては謙虚であること、これらの重要性を認識し行動することを求めてきました。特に最終診断を預かる病理において謙虚に臨むことが一義的です。一方、この20年間での病理解剖数は、関連病院における教室担当の症例を含めても793例に留まっています。ちなみに私が大学院生であった1985年が教室では最も多く、1年間で177例の剖検を行いました。2000年には98例でしたが、その後減少が続き、2008年以降は20から30例程度です。病理専門医の受験資格では毎年10症例の病理解剖を執刀する必要がある計算になり、現状では3名までしか専攻医を受け入れられないことになります。病理学会と法医学会との申合せに基づき、現在は、死因究明教育研究センターにおける死因・身元調査法による解剖を法医学の長尾教授のご指導の下に行い、症例数を補うことも行っています。実際の病理診断・病理解剖から得られる知見は医学・医療の進歩に貢献するものであり、特に希少症例や特異な経過を辿った症例では、積極的に症例報告することを奨励してきました。食道胃接合部に発生した純粋型浸潤性微小乳頭癌の報告は、最新版のWHOのBlue Bookにも引用されています。病理の診療から学ぶこと、生検標本における癌の初期像や前癌性病変、手術標本でみる進行癌の病態・転移、病理解剖を通してみた癌による人の終末像までを実像として把握できることが私たちの研究の強みにもなります。
「若い力を病理学に惹きつけ刺激し育て上げる」ことを信条として、病理医の育成には特に力を入れてきました。2020年時点で病理専門医は2620名、全医師に占める割合は0.8%であり、米国の3.2%に遥かに及びません。前述した臨床実習に病理が参画することにしたのもリクルートの方策とひとつです。系統講義を含め色々な場面で病理医の魅力をアピールしました。病理学会としても力を入れ、標榜科としての病理診断科の承認、保険診療における第13部病理診断の独立、診療報酬の適正化(最近10年で病理診断料3倍に)などの環境整備が行われています。合わせて12名の病理専門医が誕生し、現在も3名の病理専攻医が在籍しています。多くない数字と思われるかもしれませんが、大都市圏を除くとトップクラスです。さらに、2014年には当時の学部長、研究科長、病院長並びに県の担当者に強くお願いし、広島大学医学部ふるさと枠卒業生における県知事が指定する診療科に病理診断科を認定していただきました。発表されたのがちょうど広島で開催した日本病理学会総会の期間中であり、理事長を始め全国の病理の先生方の注目を集めました。中山間地域での4年間の勤務が免除になる制度であり、2018年には2名が病理専攻医になっています。
 日本病理学会各支部が主催する「病理学夏の学校」は、学生に病理学の重要性と楽しさを伝え病理に引きつけることが最大の目的であり、参加者の中から一人でも多くが病理に進むことを期待するものです。中四国支部では1泊2日で行い毎年100名近くが参加し、私も最近10年は積極的に関わってきました。2019年の調査結果では、病理専攻医の50%は学生時代に夏の学校に参加している、夏の学校に参加した学生の10%近くが病理専攻医になっていることがわかりました。特に私たちが主催した2011年広島での参加学生の内、20%近くが病理医になっています。これからも病理学夏の学校が病理を若い力で盛り上げる大きな原動力となることを期待しています。

大学運営

 学部では、長く学生担当を拝命していました。何人かの学生が様々な問題を抱え、色々な問題を起こし、その対応に当たりました。また、第1から第3講義室の改修とその周囲環境の改善を担当しました。講義室間のロビーに掲げられた広仁会寄贈の赤松先生の絵画、講義室横のレンガ敷広場にあるピクニックテーブルで学生が語らう姿を見ると、しっかり関わっていてよかったと思います。医学部の学生担当は、充て職として西日本医科学性体育連盟の理事に就任します。私も長く理事を務め、2008年度には理事長として第60回西医体を担当しました。48年ぶりの広島大学主管であり、当時の河野学部長が大会長として陣頭指揮を執られました。日本のスポーツ大会としては国体に次ぐ規模で約15000名が参加、酷暑の中20競技を無事に終了することができました。何よりも、私が顧問を務めているバレーボール部が優勝し、表彰式で直接彼らに優勝杯と金メダルを渡すことができたのは望外の喜びでした。最近西医体の会場に行くと、髪を赤や黄や紫や緑に染めた学生が目につきますが、即刻、止めていただきたい。西医体が今後の医療を支える医学生を鍛える場として、引き続き発展していくことを祈念しています。
 医歯薬保健学研究科長を2104年より2期4年間務め、副研究科長、研究科長補佐の先生方はもちろんのこと、竹内氏、下田氏と運営支援部長にも恵まれ、無事任を果たすことができました。2015年には浅原学長の後を受け、越智学長が就任された時期であり、2016年から第3期中期目標期間が始まりました。研究大学強化促進事業やスーパーグローバル大学創成支援事業を包含して広島大学改革構想を実行し、徹底した大学改革と国際化を推進して世界大学ランキングトップ100に入る総合研究大学を目指すものです。2016年には研究力強化を目的として、研究科長ヒアリングを開始しました。各研究室から英文論文実績と次年度の目標、科学研究費・外部資金獲得状況と次年度の目標、研究力強化に関する今後の取組みなどを事前に提出いただき、目標達成型重要業績指標(AKPI)と合わせて、各教授及び教員と個別に面談するものです。指定国立大学法人の申請要件を含む全学の方針を受け研究科の考え方を説明し、意見交換を行いました。臨床と基礎、医学とその他の分野の違いにより問題点の異なることが理解でき、それを把握した上でいくつかの点をお願いしました。毎年継続し、研究科として英文論文並びに国際共著論文の増加、外部資金獲得の向上につなげることができました。このヒアリングの実施は、全学に広げられてきています。
 求められる国際化・国際協働については、国際共著論文の増加とともに、留学生の増加が課題でした。そこで、現地で開催される広大留学説明会に積極的に参加することにし、また、多くの大学・研究機関と交流協定を締結しました。ベトナム、トルコ、マレーシア、タイ、インドネシア、中国、ブルガリアなどであり、2015年度には9回の海外出張となりました。その後、トルコ・アンカラの3大学から毎年医学部に短期留学に来るようになり、当研究室にもホーチミンから大学院生が来るなど、着実に成果をあげることができました。日頃の研究活動では殆ど交流がなく、初めて訪れたところが大部分であり、それぞれのお国柄や医学・医療の実情を知ることができ、視野を広げることができたのも大きな収穫でした。これらに関しては、霞国際室の岡田氏に大変お世話になりました。
 2012年文部科学省「大学間連携共同教育推進事業」に採択された「臨床情報医工学に卓越した地域の先進医療をチームで担う人材育成」プログラムを推進しました。臨床医学・医療分野の発展には医療系、情報系、工学系の異分野連携が必須であることから、広島大学と広島市立大学(情報系)、広島工業大学(工学系)、広島国際大学(医療系)の4大学でそれぞれの特徴を活かした教育・研究を展開するものであり、一定の成果をあげることができました。
 中四国における死因究明学教育・研究の拠点化を目指し、2017年に研究科附属死因究明教育研究センターを設置し、本年度末までセンター長を拝命しています。その設置並びに施設整備にあたっては、越智学長、広島県、広島県医師会等から多大なご支援をいただきました。センターには死後画像診断専用CTおよびバイオハザード対応解剖装置を設置し、大学院医歯薬学専攻に「死因究明専門家養成プログラム」を開設しました。法医学の長尾教授、放射線診断学の粟井教授、小児歯科学の香西教授とともに、死因究明専門家の育成、死後画像診断における法医学的・病理学的基盤の確立、分子中毒学の推進、身元確認等の法歯科的研究の推進等を通じて、わが国の新たな死因究明システムの開発を目指しています。
 余談です、渡り廊下の大きな大学病院と研究科のサインは前任の小林研究科長のご発案で取り付けられましたが、基礎棟玄関前の大きな学章の掲示は私の仕業です。

学会活動・社会貢献

 病理学会:本籍である日本病理学会では、2004年に全国区理事になり、2012年から常任理事、2016年から昨年まで副理事長を拝命していました。その間、14の各種委員会で委員を務め、13の常置委員会の内、研究推進委員会、学術委員会、広報委員会、企画委員会、研究委員会では委員長を歴任しました。委員長として、学術評議員の資格・責務の再定義と任期制導入、学術集会開催指針の作成、国際化の推進、抄録集の電子化、病理診断学賞の創設、会員WEBシステムの導入、各種委員会の機能の明確化、ノベルティグッズの作成、AMED/JP-AID事業の円滑な推進などに取り組みました。2004年には第1回病理学会カンファレンスを広島で開催し、その後の学会における研究力強化の一環として定着しました。2008年には宿題報告を担当し、「胃がんのTranscriptome dissection—組織からのシーズの発見とその診断・治療への展開—」に関する研究で日本病理学賞を受賞しました。さらに光栄なことに、2014年には第103回日本病理学会学術総会を担当させていただきました(別項にて詳述)。メインテーマを「叡智の恊働-未来の病理学のために」とし、特に特別企画「学生の声:病理学の魅力と期待」、学生ポスターセッションおよび「学生の集い」では、若い力を病理学に引きつける方向性を示すことができたと思っています。病理学会のもうひとつの大きな命題である病理学の研究推進と病理医におけるリサーチマインドの涵養に関しても分子病理講習会をはじめ様々な企画を行いました。嬉しいことに、同門で同級生の落合淳志先生が2017年第107回総会を主催し、2022年には同門の横崎 宏先生が第111回総会を開催予定です。これからも広大第一病理が日本の病理学を牽引していってほしいと願っています。
 癌学会:もうひとつの本籍とも言える日本癌学会では、2014年から、がん研究における病理学的・俯瞰的視野の重要性、研究成果のトランスレーションと基礎研究のバランス、次世代を担う人材の育成、がん研究の国際化の推進を掲げ、2期6年間理事を務めました。2012年には第19回市民公開講座を担当し、2013年には第4回日米癌学会特別合同カンファレンスの運営に携わりました。2020年10月にはコロナ禍の下、第79回日本癌学会学術総会を広島会場とWEB配信を併用して開催しました(別項にて詳述)。「がんの実像を見つめて共に歩む」をテーマとし、がんを征するためには、病理学的観察をはじめ科学の全てを結集してがんの本質を捉えること、基礎と臨床、異分野融合、人とAI、アカデミアと産業界、survivorとscientistが恊働することの重要を強調しました。初めてのハイブリッド開催となり資金面を含めて様々な苦労はありましたが、中釜 斉理事長を始め多くの先生方のサポートを得て成功裏に終了することができました。この総会はアフターコロナの学術集会の新たなあり方を考える上での大きなヒントとエビデンスを提供したと考えています。英文機関誌Cancer Scienceに発表した論文数は、改名前を含めると54編であり、この面でも学会の発展に貢献できたと考えています。輝かしい伝統と実績を礎に、明確な理念の下、判断力、鳥瞰力、行動力を持ち癌学会がさらに発展することを期待しています。
 胃癌学会:研究分野では教室の一丁目一番地である日本胃癌学会では、2012年から理事を3期6年、2018年から監事を2年務めました。会則委員会委員長、倫理委員会委員長を歴任し、2017年には会長として第89回日本胃癌学会総会を「横断的に学ぶ、胃癌を征するために」をテーマに開催し、総会の国際化・英語化を強力に推し進め成功をおさめることができました(別項にて詳述)。2016年からは国際胃癌学会の理事を務めています。これまで世界を先導してきたわが国の胃癌の研究・診療が引き続き世界を率いるためには、胃癌に関わる外科、内科、病理、基礎が力を合わせて、一層の世界への情報発信と国際共同の推進が必要と思います。ゲノム医療、AIの利活用が進む中、日本胃癌学会には、継承・革新とその融合が求められます。
 その他の学会:日本消化器癌発生学会では2001年から20年近く理事を務め、2009年に会長として第20回日本消化器癌発生学会を開催しました。2004年には第23回分子病理学研究会、2010年には第30回日本分子腫瘍マーカー研究会、2012年には第21回日本がん転移学会を主催しました。特に消化器癌発生学会は第20回、分子腫瘍マーカー研究会は第30回と節目の会を担当し、特別企画としてそれぞれ「消化器癌の発生・進展とその制御—過去から未来を考える—」、「歴史から今後への展望」を行い、創設当初の学会の精神とその後の発展を振り返り、これからの基礎と臨床の進むべき方向性を示すことができました。地方学会としては、2004年から10年間、広島がん治療研究会の会長を務め、年2回の研究会を主催していました。
 このような色々な学会活動を通して、病理以外の様々な領域の先生方と知り合うことができたことは大きな財産となりました。これまでの研究活動、学会活動の中で、杉村 隆先生、菅野晴夫先生、北島政樹先生、広橋節雄先生にはいつも励ましていただきご指導をいただきました。本当にありがとうございました。
 社会貢献:日本学術振興会科学研究費委員会専門委員を幾度も務め、それを通じて研究課題の着眼、実験の立案などを学ぶことができました。また、大学改革支援・学位授与機構国立大学教育研究評価委員会専門委員として、特色ある取り組みとは何か、どのように成果を上げるのかなどを知るいい機会になりました。広島県医療審議会委員、広島県がん対策推進委員会委員長、広島県死因究明等推進協議会委員長などを通じて地域医療、地域社会にも幾らか貢献できたのではないかと思います。日本学術会議では連携会員として、放射線・臨床検査分科会(来期から放射線・臨床検査・病理分科会)に所属しています。
 医学から離れたところで言うと、ひとつは広島日独協会です。教室の第2代教授飯島宗一先生が会長を務められたことがあり、先代の田原教授が事務局長であった時からの関わりで2000年から9年間教室で事務局を担当し、その後は副会長を務めています。ドイツは学会で何度か訪れたことがあるくらいでドイツ語も挨拶程度しか出来ず、役不足ではありますが、原田康夫先生、浅原利正先生ほか歴代会長のご指導のもと、なんとか務めることができています。最近はドイツからの使節団の来広も多く、またオクトーバーフェストの主催者に加わるなど結構たくさんの行事があります。日本放送協会中国地方放送番組審議会では2015年から3年半にわたり委員長を務めました。月一回NHK広島放送局の会議室で中国5県の委員12名が視聴した番組についての感想を述べ、広島放送局の局長、部長、各県の局長と意見交換するものです。メモを取りながらテレビを見るのは人生初の経験でしたが、NHKが使命感を持って真摯に番組作りに取り組んでいることを知り、見聞を広げることができました。委員は平和活動団体の代表、地域おこしのリーダー、地方都市の商工会議所会頭、地元企業の女性経営者、元オリンピックマラソンランナーなど多士済々であり、毎月の審議会の日が楽しみでした。

結びに

 病理ならば、研究だけでなく診断で直接医療に携わることができる、基礎と臨床のどちらもができることに魅力を感じ、医学部卒後直ちに大学院生として第一病理の末席に加えていただきました。時の教室には、田原榮一教授の下、梶原博毅先生、井藤久雄先生、谷山清己先生他がおられ、同級の落合淳志君、ひとつ下の横崎 宏君とともに素晴らしい環境で大いに学び、たまにはぶつかり、切磋琢磨することができました。恩師田原教授から大学院入学時に「病理学は綜合の医学である」との言葉をいただき、ずっと大切にしてきました。日々の膨大な数の病理診断・病理解剖の合間を縫っての研究、教授が開催される国際・国内学会の運営など、目の前にある仕事をひとつひとつやり切ることで幅広い色々な力が養われたと思っています。
 教授就任以来21年間、「病理診断、がん研究を通してより多くの患者さんの力になること」、「若い力を病理学、がん研究に惹きつけ、刺激し、育て上げること」を信条として教室を運営してきました。多くの病理医を養成することができ、消化管癌・泌尿器癌の分子病態の解明と新規バイオマーカーの探索、がん幹細胞へのアプローチについてはある程度の成果をあげることができました。振り返りますと、日々の出来事の全てが意味あるものであり、何ひとつ無駄なことはなかったと思います。人には短所はあるけれど、必ず長所があり、それを伸ばすことが組織の力になることを信じて行動してきました。事に当たっては、かつて田原教授がどのように振る舞い、どのように判断されていたかがひとつの道標となりました。同門の先生方には一貫してご支援をいただきました。歴代助教授/准教授・講師を務めていただいた横崎 宏先生、國安弘基先生、中山宏文君、大上直秀君、仙谷和弘君、助手/助教の伊藤玲子君、藤本淳也君、倉岡和矢君、本下潤一君、阿南勝宏君、坂本直也君、浦岡直礼君、服部拓也君、谷山大樹君はもとより、ひとり一人名前を挙げることはできませんが在籍したすべての大学院生、留学生、技術職員、事務職員の皆さんに感謝します。なんとか教授の任を果たすことができたのは、15年間にわたり秘書を務めてくれた松浦さんのお陰であると思っています。ありがとうございました。
 広島大学第一病理・分子病理、そして広島大学が今後とも引き続き発展することを祈念します。

令和3年3月
安井 弥